誕生~中学生

【高校~大学生】

    【サラリーマンの頃】

      【カメラマンになってから】

        ひたすらの鉄道好き

        男の子の半分くらいは幼児期に電車好きになるものだ。
        でも僕のそれは特別なレベルだったのだと思う。
        日本が今より大分治安が良かったこともあるのだろう、
        5歳の頃には、文京区本郷の自宅から川崎の尻手の叔母の家まで、
        ひとりで電車に乗って遊びに行っていた。
        丸の内線で本郷三丁目から東京、東海道線で東京から川崎、
        最後は南武線で川崎から尻手という乗継だ。
        切符を買ったり、東京駅で東海道線と横須賀線の発車時刻を見比べたりしながら、よくできたものだ。
        両親がどんな気持ちでさせていたかはわからないが、
        今、父親である僕は我が子にそれをさせる勇気はない。
        とにかく、このことに関しては親の度量に感謝している。
        もちろん僕も親を信用させるだけの鉄道知識を発揮、
        鉄道の移動では、たいがい僕が親に次に乗る電車の指示を出していた。
        情報源は時刻表、そう僕は電車の写真がたくさん載っている幼児向けの本より、
        分厚い時刻表を肌身離さず携え、いつも空想の世界で日本中を旅する幼稚園児だったのだ。

        象徴的なエピソードがある。
        たしか幼稚園年長の時、丸の内線で僕はボーッとしていたのだろう。
        降りるべき本郷三丁目駅で母親に置き去りにされてしまった。僕は電車に一人取り残されたのだ。
        僕は涙をこらえて乗り越した後楽園駅からおじさんたちに尋ねながら電車で引き返した。
        母はというと何と駅で何の手も打たないまま帰宅。
        今思うと、よほど僕の「鉄」ヂカラを信じていたんだろうなぁ。
        僕は自分の子どもにそんなことできないよ。
        でも母も一度家へ帰ったものの、さすがに少し心配だったのか、
        駅に向かって引き返し始めたらしい。
        すると駅からトボトボと和典クン・・・。
        さすがに僕はワーッと泣きました。

        さて、小学校1年ですっかり時刻表マニアとなった僕は、
        親戚一同から「どこどこに行きたいから乗り継ぎをしらべておいて」などと頼まれ、
        特急利用、鈍行利用、ローカル線コースなどと別々に料金まで調べてあげる
        筋金入りになっていたのでした。
        あれで漢字もずいぶん憶えたな、きっと。

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