徒然

徒然の月別エントリ

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06-01-07 過去の写真とどう付き合おうか

写真展会場に青年海外協力隊の平成3年2次隊同期の山田猛さんがふらっと訪ねてきてくれた。
僕と同い年、パラグアイで美術の先生として活動していた。
駒ヶ根の派遣前訓練の期間中には一緒にちょっとした展覧会も開いた。
山田さんは画家だ。今は彼の作品を評論したいわけではないので、余計な事は書かないが、
僕は彼の生み出す作品が好きだ。
現実、彼の絵はひっぱりだこのようで、随分と売れているようだし、個展会場探しにも苦労しない。
昨年まで3年ほど香港で暮らしていたが、この間も彼の作品はハンガリーの国立の博物館やルーマニアなどで展示されている。
オーストラリアからもオファーがあったそうだ。
彼の作品はもう彼の手を離れていて、一人歩きしている感じだ。

彼との話、僕には重厚だった。
生み出した作品との付き合い方についての話が特に心に残った。
絵は描き続けることによって「溜まって」いく。山田さんのように大きなサイズの場合はなおさらだ。
外に出していかないと家が狭くなっていく。倉庫も借りなければならない。
作品を生み続けるなら、訣別し続けなければならない。画家の宿命だ。
写真家はどうだろう。

写真は本質が「コピー」だ。写真展会場のきれいなプリントでも「コピー」だ。オリジナルはフィルム上にある。

いや、フィルムも現実の「コピー」か。オリジナルはもう「無い」のかも・・・。

とにかく、その性格はデジカメになってさらに強まり、オリジナルが電気信号としてパソコンのハードディスクの中やらDVDの中に複数存在する。
気を抜くと、ハッカーに知らないうちに盗まれて、いやコピーされているかもしれない。
でもジタバタしても仕方ないとも言える。
そもそもがコピーなんだから悪意が絡まないならば
コピーされるなら喜び感謝すべきかも。

写真家はオリジナルを発表しないので、
オリジナルがいつまでも手元に残りやすく、それが未練を生みやすい(と思う)。
その作品が何度も引っ張り出されて見てもらえるのはありがたいのだが、
写真家としては古い写真に囲まれた生活をしていると、多少なりとも作品作りに影響を与えると思う。
アーティストの立場としては、常に今に立ち、今を感じ、そこを表現(撮影)していきたいのだが、
心がなかなか今にビシッと決まらないような気がする。
どうしても過去が顔をのぞかせるのだ。

1990年代に撮った熱帯諸国での写真をほとんど発表していない。
見ず知らずの僕に撮影させてくれた方達にも失礼だ。
早く世に出して訣別しなくては、かな。